テナント退去想定の鑑定評価手法
テナント退去想定の評価とは
賃貸不動産の鑑定評価において、現賃借人の退去を想定した評価が求められる場面があります。テナントの入替えに伴う空室期間やリーシングコストをDCF法のキャッシュフローに適切に反映することは、不動産鑑定士試験における収益還元法の応用論点として重要です。
不動産鑑定士の実務では、契約満了が近いテナントを抱える物件や、テナント信用力に不安がある物件の評価において、退去リスクの定量化が不可欠です。本記事では、テナント退去を想定した場合のDCF法の適用手順と各種パラメータの査定方法を解説します。
DCF法は、連続する複数の期間に発生する純収益及び復帰価格を、その発生時期に応じて現在価値に割り引き、それぞれを合計する方法である。
― 不動産鑑定評価基準 総論第7章第1節
テナント退去想定が必要となる場面
典型的な評価場面
テナント退去を想定した評価が必要となる典型的な場面は、以下のとおりです。
| 場面 | 内容 | 退去想定の必要性 |
|---|---|---|
| 契約満了が近い | 残存契約期間が短い | 更新か退去かの想定が必要 |
| テナント信用力の低下 | 業績不振、経営難 | 退去リスクの織り込み |
| 賃料ギャップが大きい | 現行賃料と市場賃料の乖離 | 賃料改定拒否による退去の可能性 |
| 建物の老朽化 | 設備の陳腐化、耐震不足 | テナントの移転ニーズ |
| エリアの需要変化 | オフィス需要の減退 | 退去後の再リーシングリスク |
退去確率の設定
DCF法において退去を想定する際は、退去確率を合理的に設定する必要があります。
| 要素 | 退去確率が高い場合 | 退去確率が低い場合 |
|---|---|---|
| 契約形態 | 定期建物賃貸借(期間満了で終了) | 普通建物賃貸借(更新が原則) |
| テナント業種 | 景気変動の影響を受けやすい業種 | 安定業種(医療、行政等) |
| 賃料水準 | 市場賃料を大幅に上回る | 市場賃料と同等または下回る |
| 入居期間 | 短期の入居実績 | 長期の入居実績 |
空室期間(ダウンタイム)の査定
ダウンタイムの定義
ダウンタイムとは、テナント退去から次のテナントが入居し賃料が発生するまでの空室期間をいいます。この期間中は賃料収入がゼロとなるため、DCF法のキャッシュフローに大きな影響を与えます。
ダウンタイムの構成
ダウンタイムは、以下の各フェーズで構成されます。
| フェーズ | 内容 | 目安期間 |
|---|---|---|
| 原状回復期間 | 退去後の原状回復工事 | 1〜3ヶ月 |
| 募集準備期間 | 内見対応の準備、図面作成等 | 0.5〜1ヶ月 |
| 募集・成約期間 | テナント募集から成約まで | 3〜12ヶ月 |
| 内装工事期間 | 新テナントの入居工事 | 1〜3ヶ月 |
用途別のダウンタイムの目安
| 用途 | 好況時 | 通常時 | 不況時 |
|---|---|---|---|
| 都心オフィス | 3〜6ヶ月 | 6〜9ヶ月 | 9〜18ヶ月 |
| 郊外オフィス | 6〜9ヶ月 | 9〜12ヶ月 | 12〜24ヶ月 |
| 商業施設 | 3〜6ヶ月 | 6〜12ヶ月 | 12〜24ヶ月 |
| 住宅 | 1〜2ヶ月 | 2〜4ヶ月 | 3〜6ヶ月 |
| 物流施設 | 3〜6ヶ月 | 6〜9ヶ月 | 9〜12ヶ月 |
リーシングコストの査定
リーシングコストの構成
テナント入替えに伴うリーシングコストは、以下の項目で構成されます。
| 費用項目 | 内容 | 目安 |
|---|---|---|
| 仲介手数料 | 仲介会社への報酬 | 賃料の1〜2ヶ月分 |
| 広告宣伝費 | テナント募集の広告費 | 賃料の0.5〜1ヶ月分 |
| フリーレント | 入居促進のための賃料免除 | 1〜6ヶ月分 |
| テナント入居工事負担金 | 貸主負担の内装費等 | 区画の規模・仕様による |
| 原状回復費用 | 前テナント退去後の原状回復 | 1〜3万円/平方メートル |
フリーレントの査定
フリーレントは、テナント誘致のために賃料を免除する期間であり、市場の需給状況に応じて設定します。
【フリーレントの設定例】
需要が強い市場:0〜1ヶ月
需給均衡の市場:1〜3ヶ月
需要が弱い市場:3〜6ヶ月
例:月額賃料300万円、フリーレント3ヶ月の場合
フリーレント相当額 = 300万円 × 3ヶ月 = 900万円
リーシングコストの合計
【リーシングコストの計算例】
月額賃料:300万円
仲介手数料:300万円(1ヶ月分)
広告宣伝費:150万円(0.5ヶ月分)
フリーレント:900万円(3ヶ月分)
原状回復費:500万円(500平方メートル × 1万円)
リーシングコスト合計:1,850万円
DCF法への反映方法
キャッシュフローの構成
テナント退去想定をDCF法に反映する基本的な構成は、以下のとおりです。
【テナント退去想定のキャッシュフロー】
第1期〜第N期:現テナントの賃料収入
総収入 = 現行賃料 × 12ヶ月
費用 = 通常の運営費用
純収益 = 総収入 − 費用
第N+1期:退去・空室期間
賃料収入 = ゼロ(または一部期間の賃料)
費用 = 原状回復費 + 公租公課等の固定費
純収益 = マイナス
第N+2期:リーシング期間
賃料収入 = フリーレント考慮後の収入
費用 = 仲介手数料 + 通常の運営費用
純収益 = 低水準
第N+3期以降:新テナントによる安定収益
総収入 = 市場賃料 × 12ヶ月
費用 = 通常の運営費用
純収益 = 安定水準
退去後の賃料水準の設定
新テナントの賃料は、市場賃料に基づいて設定します。現テナントの賃料と市場賃料に乖離がある場合、退去後の賃料水準が変動する点に留意します。
| 状況 | 退去後の賃料想定 | 影響 |
|---|---|---|
| 現行賃料 > 市場賃料 | 市場賃料に低下 | 収入減少 |
| 現行賃料 = 市場賃料 | 同水準で入替え | 影響軽微 |
| 現行賃料 < 市場賃料 | 市場賃料に上昇 | 収入増加 |
計算例
ケース:オフィスビルの主要テナント退去想定
【前提条件】
物件:RC造10階建てオフィスビル
延床面積:5,000平方メートル(賃貸面積4,000平方メートル)
主要テナント:A社(2,000平方メートル、月額賃料600万円)
その他テナント:3社合計2,000平方メートル、月額賃料合計600万円
A社の契約満了:第3期末
退去確率:50%
ダウンタイム:6ヶ月
フリーレント:3ヶ月
市場賃料:月額2,800円/平方メートル(A社の現行賃料:3,000円/平方メートル)
分析期間:10年
割引率:5%
最終還元利回り:5.5%
【退去しない場合のキャッシュフロー(確率50%)】
全期間:年間総収入14,400万円(一定)
運営費用:3,000万円
純収益:11,400万円
【退去する場合のキャッシュフロー(確率50%)】
第1〜3期:年間純収益11,400万円
第4期前半(6ヶ月間空室):
収入減少 = 600万円 × 6ヶ月 = 3,600万円
リーシングコスト:1,500万円
第4期純収益 = 11,400万円 − 3,600万円 − 1,500万円 = 6,300万円
第4期後半〜第5期前半(フリーレント3ヶ月):
新賃料:月額560万円(2,800円 × 2,000平方メートル)
フリーレント損失:560万円 × 3ヶ月 = 1,680万円
第5期以降:
年間総収入 = 560万円 × 12ヶ月 + 600万円 × 12ヶ月 = 13,920万円
運営費用:3,000万円
純収益:10,920万円
【期待値による純収益】
第4期純収益 = 11,400万円 × 50% + 6,300万円 × 50% = 8,850万円
第5期以降純収益 = 11,400万円 × 50% + 10,920万円 × 50% = 11,160万円
割引率・還元利回りへの影響
テナント退去リスクと割引率
テナント退去リスクが高い物件では、割引率にリスクプレミアムを上乗せする方法もあります。
【割引率の構成】
ベースレート(リスクフリーレート) = 1.0%
不動産リスクプレミアム = 3.0%
個別リスクプレミアム = 1.0%
テナント退去リスクプレミアム = 0.5%
割引率合計 = 5.5%
方法の使い分け
テナント退去リスクの反映方法には、大きく2つの方法があります。
| 方法 | 内容 | 適する場面 |
|---|---|---|
| キャッシュフロー調整法 | 退去確率を反映した期待値CF | テナント個別の退去想定が可能な場合 |
| 割引率調整法 | 割引率にリスクプレミアム上乗せ | テナント退去リスクを包括的に反映する場合 |
二重計上の回避が重要です。キャッシュフローで退去リスクを反映した場合に、さらに割引率でも退去リスクプレミアムを上乗せすると、リスクの二重計上となります。
複数テナントの退去想定
テナント別の退去想定
複数テナント物件のDCF法では、テナントごとに退去確率とタイミングを個別に設定します。
【テナント別退去想定の例】
テナントA:第3期末満了、退去確率30%
テナントB:第5期末満了、退去確率20%
テナントC:第7期末満了、退去確率40%
テナントD:第2期末満了、退去確率10%
各テナントの退去確率に応じた期待値を算定し、
全テナントの収入を合算して各期の総収入を算定
同時退去リスク
複数テナントが同時期に退去するリスクも考慮します。
- 分散効果:退去時期がばらける場合、収入の変動が平準化
- 集中リスク:契約満了が同時期に集中する場合、大幅な収入減少の可能性
実務上の留意点
テナントヒアリング
退去想定の精度を高めるため、可能な限りテナントへのヒアリングを行います。
確認事項: – 契約更新の意向 – 事業計画との関連 – 他物件への移転の検討状況 – 賃料改定への対応方針
市場調査
退去後の再リーシングの想定には、賃貸市場の動向調査が必要です。
- エリアの空室率の推移
- 新規供給の予定
- 競合物件の賃料水準
- テナント需要の動向
試験での出題ポイント
短答式試験
- ダウンタイムの定義と構成フェーズ
- リーシングコストの構成項目
- フリーレントの概念と査定方法
- テナント退去リスクの反映方法の二重計上に関する注意点
論文式試験
- テナント退去想定のDCF法適用の手順を体系的に論述
- 空室期間・リーシングコストの査定方法を説明
- キャッシュフロー調整法と割引率調整法の使い分けを論じる
- 退去後の賃料水準設定の考え方を記述
暗記のポイント
- ダウンタイム:退去から入居までの空室期間(原状回復、募集、内装工事)
- リーシングコスト:仲介手数料、広告費、フリーレント、原状回復費
- フリーレント:テナント誘致のための賃料免除期間
- 二重計上の回避:CFで退去リスクを反映した場合は割引率に上乗せしない
- 退去後の賃料:市場賃料に基づいて設定(現行賃料との乖離に注意)
まとめ
テナント退去想定の鑑定評価では、退去確率、ダウンタイム、リーシングコスト、退去後の賃料水準を合理的に査定し、DCF法のキャッシュフローに反映することが求められます。キャッシュフロー調整法と割引率調整法の使い分けに留意し、リスクの二重計上を避けることが重要です。退去後の賃料は市場賃料に基づいて設定し、現行賃料との乖離にも注意が必要です。関連する論点として、複数テナント物件のDCF法や賃料ギャップの分析もあわせて学習しましょう。
不動産鑑定士試験の学習を、もっと効率的に。
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