取引事例の選択の意義

取引事例比較法において、取引事例の選択は比準価格の信頼性を決定づける最も重要なステップです。どれほど精緻な補正・修正を行っても、選択した事例そのものが不適切であれば、求められる比準価格は信頼性を欠きます。

不動産鑑定士試験では、事例選択の要件は短答式・論文式ともに頻出の論点です。鑑定評価基準は事例選択について厳格な要件を定めており、投機的取引や特殊な事情のある事例は原則として排除されます。

取引事例は、近隣地域又は同一需給圏内の類似地域に存する不動産に係るもののうちから選択するものとし、必要やむを得ない場合には近隣地域の周辺の地域に存する不動産に係るもののうちから、対象不動産の最有効使用が標準的使用と異なる場合等には、同一需給圏内の代替競争不動産に係るもののうちから選択するものとする。

― 不動産鑑定評価基準 総論第7章第1節


取引事例の収集

収集の範囲

取引事例の収集は、広範囲にわたって行うことが基本です。収集の範囲は以下の順序で優先されます。

  1. 近隣地域内の取引事例
  2. 同一需給圏内の類似地域の取引事例
  3. 近隣地域の周辺の地域の取引事例(必要やむを得ない場合)
  4. 同一需給圏内の代替競争不動産に係る取引事例

収集の情報源

実務上、取引事例の収集に用いられる主な情報源は以下のとおりです。

情報源 内容
不動産取引価格情報 国土交通省が提供するアンケートベースの取引情報
レインズ(REINS) 不動産流通機構の成約事例データベース
登記情報 所有権移転登記から売買の事実を把握
鑑定業者の事例ファイル 各鑑定事務所が蓄積した過去の取引情報
公的価格 地価公示・地価調査の標準地価格

実務では数十件から数百件の事例を収集し、そこから適切な事例を5件前後に絞り込むのが一般的です。


取引事例の選択要件

基準が定める選択要件

鑑定評価基準は、取引事例の選択にあたって以下の要件を満たすことを求めています。

取引事例は、原則として近隣地域又は同一需給圏内の類似地域に存する不動産に係るもののうちから選択するものとする。

― 不動産鑑定評価基準 総論第7章第1節

さらに留意事項では、取引事例の選択に関してより具体的な基準が示されています。

5つの選択基準

取引事例の選択は、以下の5つの基準に基づいて行われます。

基準 内容 具体例
1. 事例の類似性 対象不動産と用途・規模等が類似 住宅地の評価に住宅地の事例を選ぶ
2. 地域的な近接性 近隣地域または類似地域内の事例 同じ住宅地域内、または条件が類似する別の住宅地域
3. 時点の近接性 価格時点に近い時点の取引 原則として価格時点から3年以内が望ましい
4. 事情の正常性 特殊な事情がない正常な取引 親族間売買・競売等を排除
5. 情報の信頼性 取引内容が正確に把握できる 取引価格・条件が確認できている事例

正常売買事例の判定

正常な取引とは

正常な取引とは、売主と買主がともに合理的に行動し、特別な動機や事情なく成立した取引をいいます。この正常な取引から得られる価格が正常価格の概念と結びつきます。

排除すべき事例

以下のような事例は、原則として選択から排除するか、事情補正を行ったうえで使用する必要があります。

種類 具体例 対応
投機的取引 バブル期の転売目的の取引 排除
特殊な動機の取引 隣接地の買い増し(いわゆる限定価格水準) 排除または事情補正
縁故者間取引 親族間、関連会社間の売買 排除
競売・公売 裁判所の競売、税務署の公売 原則排除
売り急ぎ・買い進み 資金繰りに窮した売却、相続税納付のための処分 事情補正
特別の利害関係 借地人が底地を買い取る場合等 排除または事情補正

事情補正の意義と限界

事情補正とは、取引事例に特殊な事情がある場合に、正常な取引に近づけるための補正です。

取引事例に係る取引が特殊な事情を含み、これが当該取引事例に係る取引価格に影響を及ぼしているときは適切に補正しなければならない。

― 不動産鑑定評価基準 総論第7章第1節

ただし、事情補正には限界があります。投機的取引のように、取引価格が正常価格から著しく乖離している場合は、補正では対応できず事例そのものを排除する必要があります。

事情補正が可能なケースと不可能なケースの境界は以下のように整理できます。

区分 事情の程度 対応
事情補正可能 売り急ぎにより10〜15%程度の影響 補正率を算定して修正
事情補正困難 投機的取引で50%以上の乖離 事例を排除
判断が分かれる 隣接地買い増しで20〜30%のプレミアム 事例の排除が望ましい

事例選択の具体的フロー

100件から5件を選ぶプロセス

実務における事例選択の具体的なフローを、住宅地の評価を例に示します。

ステップ1:大量収集(100件以上) – 近隣地域内および同一需給圏内の類似地域から、過去3年程度の取引事例をリストアップ – 対象:戸建住宅用地の取引、マンション用地の取引等

ステップ2:一次スクリーニング(100件 → 30件)用途の不一致を排除(商業用地の事例、農地の事例等) – 規模の著しい不一致を排除(大規模開発素地、極小規模地等) – 情報の不確実な事例を排除(取引価格の確認がとれないもの)

ステップ3:二次スクリーニング(30件 → 10件)特殊事情のある事例を排除(競売、親族間売買、投機的取引) – 時点の乖離が大きい事例を優先度下げ(3年超の古い事例) – 地域の類似性が低い事例を優先度下げ

ステップ4:最終選択(10件 → 5件)近隣地域内の事例を優先的に採用 – 時点が新しい事例を優先 – 対象不動産との類似性が高い事例を優先 – バランスを考慮(特定の方向にバイアスがかからないように)

選択事例数の目安

評価対象 選択事例数の目安
住宅地(戸建用地) 3〜5件
商業地 3〜5件
マンション 5〜10件(取引が多い)
農地・林地 3件以上(事例が少ない地域が多い)

同一需給圏と代替競争不動産

同一需給圏の概念

同一需給圏とは、一般に対象不動産と代替関係が成立して、その価格の形成について相互に影響を及ぼすような関係にある他の不動産の存する圏域をいいます。取引事例の選択範囲を画定するうえで、この概念の理解は不可欠です。

同一需給圏とは、一般に対象不動産と代替関係が成立して、その価格の形成について相互に影響を及ぼすような関係にある他の不動産の存する圏域をいう。

― 不動産鑑定評価基準 総論第6章第1節

同一需給圏の範囲は、不動産の種類によって大きく異なります。

不動産の種類 同一需給圏の範囲 具体例
住宅地 通勤・通学圏を中心とした比較的限定的な範囲 東京23区西部の住宅地域
商業地 商業集積の類似した地域を含む広域な範囲 首都圏の主要ターミナル駅前商業地
工業地 産業構造が類似した広域な範囲 関東圏の内陸型工業団地
マンション 交通利便性や生活利便性が類似した範囲 東京メトロ沿線の駅近マンション

代替競争不動産

代替競争不動産とは、対象不動産と代替・競争関係にある不動産のことです。対象不動産の最有効使用が標準的使用と異なる場合には、同一需給圏内の代替競争不動産に係る取引事例を選択することが認められています。

たとえば、住宅地域にある画地でも、最有効使用がマンション用地と判定される場合は、マンション用地としての取引事例を代替競争不動産として選択します。


取引事例比較法の補正・修正の全体像

事例選択の後に行われる補正・修正は以下の4段階です。

4つの補正・修正ステップ

ステップ 内容 目的
1. 事情補正 特殊事情の影響を排除 正常な取引価格に近づける
2. 時点修正 取引時点と価格時点の価格変動を反映 価格時点の価格水準に合わせる
3. 地域要因の比較 事例の地域と対象不動産の地域の差を反映 対象不動産の地域の価格水準に合わせる
4. 個別的要因の比較 事例と対象不動産の個別条件の差を反映 対象不動産固有の価格を求める

これら4つのステップを経て、各事例から求められた試算値を比較考量し、最終的な比準価格を決定します。

取引事例に係る取引価格について必要に応じて行う事情補正及び時点修正、並びに地域要因の比較及び個別的要因の比較に当たっては、それぞれの重要性と精度を勘案して適切に行うべきである。

― 不動産鑑定評価基準 総論第7章第1節


試験での出題ポイント

短答式試験

  • 取引事例の選択要件に関する正誤問題(5つの基準をそれぞれ問う)
  • 「投機的取引の事例は、事情補正を行えば使用できる」→ 誤り(排除すべき)
  • 「近隣地域内の事例がない場合、全く別の需給圏の事例を使用できる」→ 誤り
  • 事情補正と時点修正の順序を問う問題

論文式試験

  • 取引事例比較法の適用手順を一連の流れで論述する問題
  • 「事例選択の要件と留意点」を体系的に述べる問題
  • 事情補正の意義と限界について論じる問題
  • 「同一需給圏」「類似地域」「代替競争不動産」の概念を説明する問題

暗記のポイント

  1. 事例選択の地域的範囲:近隣地域 → 類似地域 → 周辺地域 → 代替競争不動産の順
  2. 排除すべき事例:投機的取引は事情補正で対応不可、原則排除
  3. 事情補正の限界:正常価格から著しく乖離している事例は補正不可
  4. 4つの補正・修正:事情補正 → 時点修正 → 地域要因の比較 → 個別的要因の比較
  5. 事例はできるだけ多数収集し、そこから厳選する

時点修正の実務

時点修正とは

事例選択と密接に関連するのが時点修正です。取引事例の取引時点と鑑定評価の価格時点が異なる場合、その間の価格変動を反映するために行います。

取引事例に係る取引の時点が価格時点と異なることにより、その間に価格水準の変動があると認められる場合には、当該取引事例の価格を価格時点の価格に修正しなければならない。

― 不動産鑑定評価基準 総論第7章第1節

時点修正の方法

時点修正は、以下のデータを基にして行います。

参考データ 内容
地価公示・地価調査の変動率 標準地価格の前年比変動率
不動産価格指数 国土交通省が公表する指数
取引事例の動向 収集した事例群の価格推移
市場参加者の動向 需要と供給のバランスの変化

時点修正と事例選択の関係

時点修正の精度は、取引時点と価格時点の時間的距離が大きいほど低下します。これが、事例選択において時点の近接性が重視される理由です。3年以上前の古い事例は、時点修正の精度が低くなるため、より新しい事例を優先的に選択すべきです。


まとめ

取引事例の選択は、取引事例比較法の適用における最初にして最重要のステップです。いかに精緻な補正・修正を施しても、出発点となる事例が不適切であれば、信頼性のある比準価格は得られません。

選択にあたっては、類似性・近接性・時点・事情の正常性・情報の信頼性という5つの基準を満たすことが求められます。特に、投機的取引の排除と事情補正の限界については、試験でも繰り返し問われる重要論点です。

関連記事として、取引事例比較法で比準価格の算定プロセス全体を確認し、正常価格で「正常な取引」の概念を深く理解することをおすすめします。